アメリカぷるぷるアート観光 Altruart in America

ニューヨークより心が震えるアートの紹介。障害とアート/アウトサイダーアート/アールブリュット/現代アート/NPO団体/アートフェア/美術館/おもしろグッズ etc.

Carlo Zinelli と元生物学者Eugen Gabritschevskyの展覧会

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Carlo Zinelli (1916–1974) と Eugen Gabritschevsky (1893 – 1979)  の展覧会がアメリカン・フォークアート・ミュージアムで開催されていました。この美術館は以前モマの隣のビルを1棟使用して貴重な収蔵品を公開していました、このブログを書いている現在のところ、リンカーンセンター付近の会場のみで展示をしています(ご参考:さよならフォークアートミュージアム)。

 

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カルロの作品は、4つの時代と特徴に分けられていますが、こうした回顧展が開催されるのはアメリカでは初めてのこと。アメリカ国内外のプライベートコレクターや、ローザンヌのアール・ブリュットコレクションなどの美術館の協力によって実現しました。

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http://www.carlozinelli100.it/ より。イタリア語のサイトですが、彼の写真や作品を多く見ることができます。

カルロについてはHyperallergicでエドワード・ゴメズ(Edward Gomez) 氏が素晴らしい記事を寄稿しているので、興味のある方は読まれると良いかと。そこから略歴を抜粋して訳すと、

シュルレアリストのリーダーだったアンドレ・ブルトンらと活動を共にしていたことのあるジャン・デュビュッフェが見出した、カルロ・ツィネリ。イタリアで1916年に生まれたカルロは2歳の時に母親をなくし、小児労働者として農場に送られます。その後に畜殺場でブッチャーとして働き、1936年までに兵役も済ませます。経緯は不確かですが、スペインで独裁者フランシスコ・フランコへの反対運動に参加。しかしすぐに統合失調症を発症し、精神障害の兆候が現れてイタリアに戻り、精神病院へ入ることになります。その病院の庭の壁に絵を描き始めたのが、彼の絵画制作の始まりでした。1974年、57歳で他界するまでに1900点以上の作品を残しました。

f:id:artinamerica:20170805062350p:plainhttp://www.carlozinelli100.it/ より

4に固執したカルロの作品の一つ。人、鳥、車などの左向きのモチーフが4つずつ描かれることが多いのですが、精神科医の記録によると、実生活においてもタバコとマッチを4つずつ要求したり、鍵を4回閉めたり、また同じ言葉を4度繰り返すなど、特徴的なこだわりがみられます。

 

この動画「Turning the Art World Inside Out」の2分頃からは、Carloについてのドキュメンタリーになっていておすすめです。ドキュメンタリーの内容を要約して紹介します。

 

戦争からわずか2ヶ月で戻ったカルロは明らかに精神に異常をきたしており、精神病院で電気ショックなどで治療が行われましたが効果はなく、保護施設に入ることになりました。

そこで彼はある日、地面から石を拾って壁面に絵を描き始めました。看護師はすぐに止めに入りましたが、彼はその制止を振り切ってあらゆるところに絵を描きました。

施設としては患者の問題行為だったと思いますが、そこで精神科医が、彼は絵を描くことで落ち着いていられるのではと気がつき、彼に鉛筆を与え、絵を描くことを許したのでした。

ある日、スコットランド人のアーティストMichael Nobleがその施設を訪れました。カルロの作品に心を打たれ、彼の伴侶の資産でなんとその施設の中にスタジオを作り、カルロに画材を与えて絵画制作を支援しました。

それからカルロは毎日8時間絵を描き続けました。そして当時は狂人の絵画だと扱われた彼の作品も、今ではアウトサイダーアートを代表する作家の一人として取り上げられています。

 

ちなみにこの動画、冒頭から始まるインタビュー群では、

アウトサイダー・アート等を扱う随一の雑誌Raw Vision (←週1発行のメールマガジンは読み応えがあるのでおすすめ)を立ち上げたJohn Maizels、

アーティストのJoe Coleman (←作品のユニークさ、本人の時代を超越した貴族感は特別の趣がある)、数字に取り憑かれた男George Widener 、

ボルチモアにあるAmerican Visionary Art Museum (AVAM) のファウンダー&ディレクターRebecca Alban Hoffberger、

ベネツィア・ビエンナーレでアウトサイダー・アートを取り上げたMassimiliano Gioni(←日本からは大竹伸朗の作品が紹介されたThe Keeper at New Museumも彼による展覧会は圧巻だった)、

The New York Times の共同チーフ批評家のRoberta Smith

American Folk Art Museumのプレジデントでご自身もコレクターであるMonty Blanchard(←見よ、彼の自宅の壁)、

ロンドンのMuseum of EverythingのファウンダーJames Brett、

Art Brutという概念・言葉を作った故Jean Dubuffet,

このジャンルの草分け的ギャラリーであるRicco Maresca Galleryを運営する Frank Maresca、

ベネツィアビエンナーレで作品が展示された澤田真一、日本の障害者施設、、、、

 

書ききれないほどの日本・ヨーロッパ・アメリカのアウトサイダーアートに関わる人物たちが登場するので、一見の価値ありです。

 

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会場の様子。

 

 

こちらは Eugen Gabritschevsky (1893 - 1979) の作品。彼の作品がまとめて展示されたのも、アメリカでは初めてのこと。

 

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Eugenはモスクワの細菌学者の父親の元に生まれました。特に昆虫に深い興味を持っていた彼は生物学者として「光線が及ぼす蝶の蛹の配色の影響」について研究をします。

そして1925年にはニューヨークの名門・コロンビア大学で奨学金を得て、ノーベル賞を受賞したThomas Hunt Morganの元でポスドクとして研究を続けたのち、パリに移住し、遺伝子の突然変異を起こした昆虫についての論文にとりかかります。

ところが1931年に精神病の症状が悪化し、ドイツの精神病院に入院することになりました。彼が38歳の時でした。

それから残りの人生のほぼ全ての時間、およそ50年間ほどを、彼はその精神病院で過ごし、ガッシュ・ドローイング・水彩を含めて3000点以上の作品を残しました。

 

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初期の作品は彼のバックグラウンドとも言える研究の要素が盛り込まれていましたが、症状が進むにつれ様相は変わり、幽霊とも怪物ともつかぬシルエットの生き物を描くようになりました。

展示では彼がニューヨークに滞在していた頃の「崩壊」する前の作品も見ることができ、彼に起こった変化の様子を作品で感じることができます。

 

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本展のキューレーターであるValérie Rousseauは「彼のアートは、彼自身が書き残した言葉、”way of transcending distress at the finiteness of scientific knowlegde."  サイエンスの知識の有限性における苦しみを超越する方法 とも読み取ることができる」と紹介しています。


ちなみにValérieさんは、アメリカン・フォークアート・ミュージアムのセルフトート・アートを中心とした専門キュレーターです。またアウトサイダーアートフェアのオーナーとなったAndrew Edlinのパートナーでもあり、このジャンルとマーケットの発展、発掘、研究そして保存活動に尽力されています。

 

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右上の作品中の雲のように定まらない形のピンク色の顔を見ているうちに、フランスの文学作家ジョルジュ・サンドの「ばら色の雲」と言う本を思い出していました。

 

「いいかい、おまえに教えておくが、わたしはずっとむかしに、わたしのばらいろの雲をつむいでしまったのだよ。ばらいろの雲は、わたしのでき心、わたしの気まぐれ、いわばわたしの不運のことです。わたしはそれをじぶんのつむ竿にかけたのだよ。仕事が、美しいりっぱな仕事が、わたしのかたきを細い細い糸に仕上げ、もはやかたきをかたきと感じないほどになりました。おまえもわたしとおなじようになればいいのだよ。雲が心の中を通りすぎるのを防ぐことは、おまえにはできないけれど、勇気をたくさん、たくわえておけばいいのさ。雲をつかまえて、すいてやるがいい。つむいで、つむいで、おまえのまわりにも、おまえの胸の中にも、嵐を起こすことができないようにしてやるのさ。」

http://d.hatena.ne.jp/emau/20070713

 

絵を描くことが、彼なりの、彼の中の雲の紡ぎ方だったのかもしれません。

 

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この展覧会のオープニングのキュレーターによる解説とディスカションが見られます。会場の雰囲気をうかがうことができます。

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