古き良き街、バージニアシティへ
カリフォルニア州に隣接するネバダ州。数百メートルほどの目抜き通りにお店が並ぶ観光地。西部劇さながら、テンガロンハットとウェスタンブーツのガンマン風の人々がその辺を普通に歩いています。
この街の詳細は、ブログ「Mark and Risbeau's Fantastic Adventures」さんの記事がわかりやすく丁寧だったのでそのままお借りします。https://goo.gl/iWpWEH
カリフォルニア州の通称「ゴウルデン・ステイト」に対して、隣のネバダ州は「シルバー・ステイト」と呼ばれる。以前からこのオリンピックのような名前の根拠を確かめてみたかった。この鍵は今回訪れるバージニア・シティにある。
1859年、偶然麓でこの地域を通りがかった採鉱者が金を発見した。この知らせが伝わると、続々と一攫千金を狙うにわか採鉱夫が押し寄せ、やがて急な丘の上で採掘を始めた二人の男たちが金とともに、黒っぽい鉱物をたくさん掘り出した。彼らには金以外の鉱石の持つ意味が分からなかったが、後に世の人々はこの鉱石が、西部の歴史を今一度大きく塗り替える銀であることを知る。
儲け話のにおいを嗅ぎつけ、一人の横柄で口の達者な男がバージニア・シティに現れた。名をHenry Comstockという、ビジネスマンというよりは、詐欺師の名が相応しい人物だった。話術巧みに人のよい採鉱夫たちから採鉱地を巻き上げると、さらに儲けを山分けにする条件で採掘を許可した。いつの時代にも目から鼻に抜けた男はいるものだ。ところ構わず「俺の土地」「俺の鉱脈」と口にして回ったものだから、やがて人々はネバダの銀鉱脈をカムストック銀鉱と呼び始め、思惑通りその名が歴史に残ることになる。
しかし、カムストックの運はそこまでだった。鉱脈が大量の銀を産出し始める前に土地を半端な金で人に渡してしまい、それを原資にカーソン・シティで商売を始めるが、結局うまくいかなかった。「俺の」鉱脈が毎日大量の銀を産出するニュースを聞くにつけ、身の不運を恨み、遂にはリボルバーで自ら命を絶ってしまう。結局カムストック鉱脈からは推定4億ドル(現在の価値で約5千億ドル)相当の銀と金が掘り出されることになった。
全盛の1870年代、ボードウォーク(木張りの歩道)が張り巡らされた目抜き通りに、立派な商店やホテルや酒場がひしめきあって並んでいる古い写真が残っている。当初1,500ドルで売買された一等地の15メートルの間口は、瞬く間に10,000ドル、やがて20,000ドルまで高騰した。3万人の住民の主な関心時は銀鉱株の投機で、鉱脈の発見や枯渇など新しい情報が届くたび株相場は敏感に乱高下した。フランス産シャンペン、キャビア、トリュフ、ロブスターなど高級食材が飛ぶように売れ、資産家の住民は家の金具はことごとくご当地産の銀で作らせたらしい。
1898年には、地下深く掘られた銀鉱で次々と毒性のある湯が吹き出し、銀の採掘が不可能になった。株価は暴落し、かつて億万長者として威張っていた多くの市民が一転路頭に迷った。もともと不便な土地柄なので資材の供給が途絶えがちになると、商店、酒場、ホテルは次々と店を閉じ、採鉱者は次の土地を求めて街を去った。栄華を極めたバージニア・シティの歴史は、あっけなく幕を下ろしたのだった。https://goo.gl/iWpWEH
そして表題にあるように、ここはアメリカ代表する文豪である、マーク・トゥエインのゆかりの街で、至るところに彼の名前が見られます。この蝋人形がマーク・トゥエイン。1860年代初頭にこのビルにあった新聞社で働いていたそうです。
目抜き通りの入り口にある「昔ながらの美術館」
すっとこどっこい!な美術館の好きな私は、この通りの中でも「昔ながらの美術館」 (The way it was museum) に目を付けて駆け込みました。
刺すような日差しの中、以外に来場者も多く、駐車場にも沢山の車が。カメラとお水を片手に美術館へ入っていく人たちが見えます。
屋根の上にも人形が!手が込んでいます
金銀採掘の現場を再現
今にも崩れ落ちそうで落ちないエントランス
とにかく採掘の現場を再現したような全てが見られます、と書いています
ドキドキしながら中へ
https://goo.gl/uTYhPN トリップアドバイザーより
お約束の人形たちが並び、当時の雰囲気をリアルに再現しています。華々しい!
https://goo.gl/uTYhPN トリップアドバイザーより
馬車にのる老夫婦。白髪の灰色具合がなんだかリアル。お母さんの方が少し前かがみがちで、きっと心配性なんだろうな、と想像は広がります。
所狭しと採掘に使用された道具から、なぜか剥製まで
銀の採掘場として栄えたこの地の歴史文献たち
あらゆるところに当時の道具が。段々、単に片付けの苦手な人のお家に遊びにきているような気持ちにすらなります。こちらは銅製の蒸留器。その左右は不明。
見学しているうちに、砂っぽい当時の空気にまみれ、頭もお腹いっぱいになり、目が灰色になってきましたので、気分転換に外の展示品へ。
重い木材を運ぶ荷車。取り外しのできる車輪で、荷物のサイズに合わせられます。ああ外の空気は清々しい!
荷車を引くロバの再現。重い荷物を運び伏し目がちな様子。他者への心配ができるのも、自分の心が元気であってこそ。
砂漠を生きる者にとっては命の水。この1週間砂漠環境にいたので、自分の体としても、周囲の環境としても、水の尊さを普段よりずっと強く感じます。
観光地にはこれまた約束の顔ハメ。期待を裏切りません。
気を取り直してお土産屋さんコーナーへ
さて、太陽の光をチャージして入館当初の意気揚々とした気分を取り戻しました。作戦成功です。めっきり元気がでてきたので、館内のお土産コーナーに戻ってみることにしました。
出口から気を取り直して再び!
「もうクローズしましたよ」とこちらを振り返らずに告げる女性。私が外で元気チャージをしている間に本館はしまってしまったようですが、お土産コーナーだけはなんとか開いていました。あまり磨く感じもなさそうな、全体的に砂っぽい感じのガラスのショーケースが並びます。
ネバダ!ゴールド!ネバダ!ゴールド!なパンフレット群。どこの美術館に行った時も、帰り際に寄るミュージアムショップが私の楽しみの一つでもあります。時には展示品以上に熱が入っていたり、入荷した人の人間性まで滲み出ているからです。
日本の駄菓子屋を彷彿とする棚
ゴールドグッズにとにかく力を入れています。顕微鏡も!楽しそう!
アメジストにゴールドのメッキをした採掘人が。色々な石のお土産を見てきましたが、これは初めてみる組み合わせ。
反対側は力つきたのか、ちょっとやる気のない感じ
この辺りは、科学本の付録のような商品が並びます
恐竜のうんこを発見しよう!
アメジストを観察しよう!
とにかく袋いっぱいの石が1ドル99セント(約200円)!とここまできて、心なしか再び息切れしてきたので、この美術館を後にすることにしました。
西部劇の世界に迷い込んだような町並み
ジョン・ウェインが登場するのではないだろうかと思うような街並みの中、9月11日付近であったこともあり、多くのバイカーが路上を走っていました。(ちなみにこの日とバイクの関係については、以前のブログ↓をご参照下さい。)バージニアシティではこの日ラクダのレースも行われていて、街は大盛況。
しげしげと眺めていたら、どうやら呼んでいます。
写真を撮ってもらえました!
道行く人が全員被写体です。
まるで当時のピアノ弾きに出会えたり、
映画から抜け出してきたようなミュージシャンに溢れたこの街
現地で取れる 鉱石の質もよく、値段もとても良心的だよ!
一度はおいで、バージニア・シティ。あなたの期待の390度位思わぬ角度の楽しみを魅せてくれます!
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