アメリカぷるぷるアート観光 Altruart in America

ニューヨークより心が震えるアートの紹介。障害とアート/アウトサイダーアート/アールブリュット/現代アート/NPO団体/アートフェア/美術館/おもしろグッズ etc.

大きなくりの木のしたで

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長い目で必要を感じて、最近少しずつ化学の勉強を作業や仕事の合間にしています。調子よく楽しんで進めていたのですが、その中で「原子の半径や原子間の距離」でつまずいてしまいました。

つまずきの理由は、どうしてその「距離」を知らないといけないのかがさっぱりわからないからでした。どんな本をみても検索してもあまり理由が書いていない。どうして知らないといけないのかが欠いていると、私の中で著しく意欲が減退するのを感じます。そこでふと読めずに放置してあった楢崎皐月さんの「静電三法」を直感的に開いてみると、答えになるような一文を発見しました。

 「原子半径または原子間の距離を正しく知ろうとすることは、結合の空間的配列によって結合の本質が何であるかと言うことが推定されるからである」とあります。なるほどこれなら腑に落ちます。また少しずつ、亀のような速度ですが、進めるようです。

それにしてもこの「腑に落ちた」感があるたびに思い出す事があります。ダウン症の5才の女の子とのやりとりです。

その女の子のご両親と友人たちと、ある日蕎麦屋で昼食をとっていました。食後に長く大人の会話が続きそうだったので、私と知人が彼女と外に散歩へ行きました。ダウン症と言っても色々なタイプの方がいると思いますが、彼女は会話のやりとりから察すると軽度の知的障害(幼稚園入園程度?)があったようです。

その散歩も一通り終わる頃、彼女は蕎麦屋に戻るのを拒否し始めました。理由はない、蕎麦屋には絶対に戻りたくない、とのことでした。それに対して同行していた知人が「帰るよ、みんなが心配しましゅよ」というような調子で言葉をかけ始めると、イヤイヤは、徐々に全身を使った激しい抵抗に変わりました。

そのやりとりを聞いていて、私としても「みんなが心配する」から帰ることの意味のが全くわからなかったので、彼女の思いには賛成できるものがありました。ただ実際そろそろ戻りたい時間だったので、どこまで理解を得られるかはわかりませんでしたが、私は私自身が帰らないといけない理由を話してみることにしました。

一番の要点としては、私たちはまだ食事分の料金を支払っていないので、その義務があることです。彼女に支払いを済ませたかの確認をすると、頰をまだ赤くしながら「してへん」と答えました。私は「そうですか」と返答しました。彼女はしばらく視線を私たちから外して黙り込むと、おもむろにこちらの手を引くように率先して蕎麦屋に向かい始めました。

私の手を引く彼女のサラサラの後頭部をみながら、あ、納得したんだな、伝わったのだな、と体がゆるりと溶けるような感触がありました。彼女の行動のモチベーションは彼女の中にしかないのでした。自分としてもとても気持ちの良いやりとりで、とても鮮明に覚えています。

全てに納得のいく理由が毎度あるわけではありませんが、こういうステップの重要さは色々な局面で目にするなと思います。

2018年になったようです。いつも、または、たまたまかもしれませんが、読んでいただいてありがとうございます。何か書こうと思ったら、アートの話とはまた別のことが頭に浮かんだのでそのまま書きました。写真は幼稚園の時に栗の役をした写真。なんとなく。

なかなか冷えますね。暖かくしてお過ごしください。