アメリカぷるぷるアート観光 Altruart in America

ニューヨークより心が震えるアートの紹介。障害とアート/アウトサイダーアート/アールブリュット/現代アート/NPO団体/アートフェア/美術館/おもしろグッズ etc.

障がい者でも犯罪者でもみんな、絵を描くのは、調和をめざしているのかもしれない。


https://www.flickr.com/photos/14029976@N08/2051112730/

 先日のブログに、娘さんが16歳の自閉症スペクトラム障がいのある方からコメントをいただきました。

『描きたい…
表現したい…
そんな純粋な心だからこそ、訴える何かがあるのでしょうね。』
これまで何度も思ってきたことではあるのですが、アーティストは(障がいあるなしに関わらず)どうして絵を描こうとするのだろう?と久々考えていました。
そんな時、久石譲さんがオーケストラとコーラスによるジブリの演奏をしている動画を見て、それから「嫌われる勇気」という本を読んで思うことがあったので、書いてみました。
動画を再生すると、久石譲さんのピアノ・ソロから始まります。
その1分後くらいから、カメラがコーラスの人たちをクローズアップし始め、ポニーテールだったり、背の高めだったり、メガネの人がいて、あ、人間が集まってうたってるのね と、ひとりひとりの人間臭を突如感じます。
 
でもまた全体が映された時には、そんな個々人の事は頭から消えていきます。
 
アドラーの心理学をわかりやすく対話形式で綴られた「嫌われる勇気」という本の中で、人生のタスクについて書かれています。
他者に貢献すること一般的な人生に意味はない。あなた自分自身に与えるものだ
そんな件があり、いわゆる「善行も悪行も」、どうやら全体の調和(平和とかじゃなくて)をとるために行っているらしい。

この
ポニーテールも背高もメガネも、それぞれが障がい者なのどうかも、ましてやその人が幸せだかどうかなんて、聴衆にはまったく関係ありません。興味もわかない。全体を感じにきてるだけです。

そう思うと、「わたしが、おれが」と本当は目立ちたい人もいるだろうに、みんなそんな一生懸命歌ったり演奏したりしなくてもいいのに
でも、オーケストラの演奏の調和への貢献のために、自立しつつも協力しているのだなあと思えて、胸を打ちます。そして、まさに絵を描いているのも、この感覚なのではないかと
 

 冒頭の絵。私にとって一番思い出深い作品です。オーギュスタン・ル・サージュ (Augustin Lesage) という、1867年にフランスに生まれた炭鉱夫で、ある日「絵を描け」という神の掲示を受け、一生かけて絵を描きました。

当時ちょっとした自身のコンプレックスさえ乗り越えられなかった私にとっては、こんな素直に心のぐちゃぐちゃな部分を描いて、正直すぎやしないだろうかと思った、衝撃体験でした。
このくちゃくちゃな人生を送ったフランス人のルサージュも、幼児性愛犯罪者だったドイツ人・フリードリッヒ•ゾンネンシュターンも、米国で史上最悪のシリアルキラーと呼ばれ、ピエロの絵を制作したジョン・ウェイン・ゲイシーも、どんな現代アーティストも、
自分の思いや特性に素直に「絵を描く」ということは、それを通して、調和(必ずしも平和とかではなくて)への貢献やその方法を暗に示しているのかなと思えます。
それは俯瞰でみると、オーケストラの一員として曲を作っているようなことなのかもしれません。

余談ですが、
もしもいま、身近に理解不能な行動を取っている人がいたとしても、その人が必死でやっていることであれば、それも 何かに「調和したいんだな」 という目でみることもできるかもしれません。

それを自分事として考えると、合唱においては「他の人も歌っているから私は怠けても対してかわらんや・・」と思うよりも、どんなことでも今日1日を精一杯味わい尽くしてみようという気持ちが、湧いてきます。